日本の市民から寄せられたジョグジャカルタ地震被災者への義捐金寄付報告 持参人:リチャード・スシロ 日 付:2006年6月16日金曜日 場 所:ジョグジャカトリック教会(Gereja Katolik Yogyakarta) ジョグジャカルタ,パネンバハン・セノパティ通り22番地 現在のジョグジャの状況 6月14日から17日までの3日間のジョグジャ滞在は非常に衝撃的なものであった。とりわけジョグジャ南部においては、家屋の倒壊が目立った。そればかりでなく、ジョグジャ市街地においてもファイブスターホテルであるシェラトンホテルが崩壊、7メートル地中に陥没しており、再びオープンできるようになるまでには1年はかかる見通しであるという。 ジョグジャ南部の民家は、倒壊がひどかった。BPKP(中央会計監査庁)ジョグジャ支所もその一つで、下方へ傾いていた。ジョグジャの大型デパートの幾つかは崩れ落ち、建物のガラスはめちゃめちゃに割れ、ホテルも多くが閉鎖している。 現時点で閉鎖せず正常に営業を続けている大型ホテルは、日本の自衛隊の支援チーム150名が宿泊しているジョグジャカルタハイアットホテルやジョグジャカルタプラザホテルを含む4軒のみだ。 ジョグジャ南部の民家はおしなべて打撃がひどい。建物の多くは倒壊或いは崩壊したり、壁にひびが入ってしまっているため、居住することができない状態にある。住んだとしても、余震によりさらに崩れて人的被害が拡大する危険性がある。 そのような訳で、住民の多くは自宅の敷地内に一家(父親、母親、子供)でテントを張って寝泊りしている。キャンプ生活のように屋外で料理をし、テレビも外で見るという状態である。これに雨でも降れば、生活はますます困難になる。 インドネシア政府自体からの救援活動はまだほとんど見受けられない。活動しているのは、むしろNGOや医療面での支援を行っている日本の自衛隊などである。 さらに、住民が主要道路の脇に捨てる瓦礫が問題となっている。 それによって道路が非常に埃っぽくなり、空気を汚染している。このような状態は、当然人間の呼吸器系に障害をきたす新たな病気を生じかねない。 現在の被災地の状況を見た限りでは、ジョグジャが復興するまでには少なくとも2年を要するものと思われる。 日本の市民からの義捐金 サリヤント神父に渡された、日本の市民からの義捐金は4000万ルピアである。この金額は、インドネシアではジョグジャ周辺で4人家族(父親、母親、子供2人)が住める簡素な家屋1戸を建てる額に相当する。 このことから考えても、実は被災者への援助はまだまだ不足していることが想像できる。 サリヤント神父は、上述の義捐金を被災者のための米、飲料及び医薬品の購入に充てるとの報告を行った。 ジョグジャカルタのカトリック教会は、ジョグジャカルタ内に少なくとも3箇所の救済活動拠点を設けている。それらの拠点の一つは、米、衣服、毛布などの生活必需品の保管所となっている。 ジョグジャカトリック教会のボランティアの話によると、バントゥルの住民が食糧不足による飢餓状態となったため、保管されている食糧を奪うために教会を襲った集団があったという。サリヤント神父は、今回に限っては切羽詰ってのことなので咎めないと述べる。「しかし、今後は秩序を守っていただきたいです。全ての人々に公平に分配されるよう、配給の順番がありますから。」(サリヤント神父談) 6300人の命が奪われ、何千人もの人々が負傷し、住む家を失ったジョグジャの震災がどれほど大きな打撃を与えていることか。さらにこれに加えて、2006年6月22日時点でなおもムラピ山は噴火を続け、火山灰が周辺地域に降り注いでいる。 リチャード・スシロがジョグジャに滞在していた間にも、やや大きめの地震が日に2度は感じられたという。 地震の被害に遭った子供たちはどうだろうか?彼らには、少なくとも教育面においては多大な支援が必要だ。学校が崩壊してしまった今、彼らはどこで勉強すればよいのだろう。食糧も非常に不足している。子供たちの健康と成長を支える栄養源をどのように確保すればよいのだろう。 今ジョグジャは困窮の只中にあり、さらなる支援が強く求められている。政府からの救援活動を待たずとも、我々にできることがあれば、共にジョグジャを援けようではないか。 義捐金は引き続き必要とされている。集められた義捐金はジョグジャカトリック教会の銀行口座に送金される。サリヤント神父はリチャード・スシロに懇願した。「よろしくお願い致します。私たちは、現在もマグマが流出しているムラピ山とジョグジャ地震の被災者のために、多くの資金を必要としているのです。」 義捐金受付期間:2006年12月31日まで 〜皆様のご協力をお願い申し上げます〜 www.yogya.us HOME | Bahasa Indonesia | 写真 Copyright Ⓒ Richard Susilo June 2006 |